獣医師という職業といま その2
命の価値は??
獣医療と人医療の違いの一つは、例外こそあれど、診察一つにしても「お金」という問題が常に付きまとってくることじゃないかなと思います。
動物病院のケースだと、
・費用をいうと、治療をやめてしまうケース。
例えば、人間だったら 極端ですが
安くて、危険な治療
高いけど安全な治療
だったら、日本なら後者を基本的には選ぶでしょうし、命を救う為に余程のことが無い限り最善のことをするかと思います。(あくまで基本的にです。)
でも、動物病院だと、そこら辺のさじ加減は文字通り「飼い主さん」次第
・もう少ししてあげてもいいのに・・・そしたら助かるかもしれないのに・・・でも、強く言ってそれで家計を圧迫させてしまうのもなぁ・・・
と思うことは少なからずありました。(やっぱり基本的に助けたいから診察しているわけであり)
逆に
・なんで、この人ここまでお金払えるんだろう・・・・いくら子供同然でもすごいな・・・自分にはできない・・・
と逆に溺愛しすぎてちょっと個人的には??と思うこともありました。
ココらへんは本当に「ジレンマ」だと思います。
助けたい。
と
お金という現実。
ただ、個人的には「癌」等への積極的な治療は正直とまどいもありました。
人間と同じで、癌が見つかった時は基本的に高齢状態が非常に多く、最善を尽くしても一年の延命が見込めないことも多いこと。場合によっては1っヶ月とか。
その割には抗癌剤等の内科的両方でさえ時に身体への負担がとても大きいこと。もちろん経済的負担も相当大きいこと。
そしてそれを動物は
「自分で決定」
できないこと
動物が動物らしく本当にそれで生きれるかという疑問などなど。
これはあくまで個人的な考えなので、いろいろな考え方があって全然いいと思います。
個人的には、やっぱり動物は「本能」であったり「感覚」というものがやはり人間とは違う部分が多いと思ってます。「野生」に近い部分があるというか。QOL(生活の質)の感覚を人の感覚で判断してしまってはダメなんじゃないかなと思っています。
そういうところをダメにしてしまう可能性のある延命治療というもの(自分で食べれなくなったり、動けないとか)は果たして「動物」の幸せなんだろうか。
常に頭で思いながら治療にあたっていたと思います。
そして、自分は実際に「あくまで個人的な意見ですが」と前置きして
状態を説明し、治療を選択してもらう際に飼い主さんにこの考えは伝えていました。
医療は死を遠ざけるものじゃなく、生の質を高めるものだと。
未だにこれは正しいのか謎ですけど・・・
大動物だともっと顕著です。
お乳が出ない。
治りが悪い。
それはただの文字通り「穀潰し」
で、
「産業」動物
である、彼女たちは
廃棄もしくは出荷
ということになってしまいます。(ちなみに彼女と書きましたが、もちろんですが乳牛は基本メスばっかりです。雄なんて、優秀な奴以外は基本「お肉」です。なんて悲しいジェンダーの差笑)
自分がたった二ヶ月の実習で岡山のNOSAIにいた時でさえも数件そういうことがありました。
「治療」するということは、治療のほうが、廃棄よりコストパフォーマンスがいいから。ということが大動物の場合、前提としてあります。
(厳密には間違っているかも。大動物関係の方間違ってたらすみません。あと、蛇足になりますが、だからといって酪農家さん達が愛情を持っていないというわけではありません。皆さん本当に愛情をかけて育てていらっしゃいますので、誤解を招くようなら書き方が悪かったということになります。本当にすみません。)
文字通り「家畜」
一転して、ガーナでの体験です。
ガーナでは、家畜は文字通り家の財産です。(厳密には酪農家さんもそうですが、意味合いとしては、より「文字通り」だと)
家畜を増やすことで収入源になる。
貯金ができないから(銀行等がまだまだ不十分だから)、代わりに家畜を買う。
多く家畜を持っている → 社会的ステータスになる。
などなど。
日本でも一昔まえまで(戦後すぐくらい?)は、牛一頭いるだけで周りから重宝がられた。という話も聞いたことがあります。
それくらい貴重な「財産」なんだなぁ。と。
そういう意味で「獣医師」は、治療といってもやっぱり「治療」だけに足を突っ込んでいるわけではないんだなぁ。と改めて思います。常に相手の「お金」を念頭に考えないといけないというか。
そこが前述のようにジレンマでもあり、業でもあり、そしてやりがいでもあるというか。
もう一回だけ続く。