In Blue Skies

とある獣医の青年海外協力隊日記からのイギリス大学院留学

「共通認識」と公衆衛生という学問。

冷静に考えてみればメイクセンスなのだけれど、こと公衆衛生という学問に限っていうと、日本はつくづくイレギュラー位置に立っているということを改めて実感をしています。

 

おそらく客観的に見ると、日本という国の医療システムは、さまざまな問題を含めど、技術レベル等を考慮するとほぼほぼ世界一であると思う。

 

重大な感染症が他国にくらべ極端に少なく、(曲がりなりにも)長寿世界1として、講義でも紹介される。

 

しかしながら、逆をいえば、

 

1.その重大さを共有できる病気が非常に少ない。

2.そこからさらに突っ込んだ意見を盛り込むことができない。

 

というデメリットを常々感じる。

 

たとえば、感染症で、マラリアやデングなど、多くの途上国でまだまだ猛威を振るう疾患が日本ではない。(昨年デングは数例でたそうだが)。つまり、「ベクター」としての蚊の重大さに対してどうしても「知識」としてでしか実感を持てない。確かにガーナにいたときに蚊は問題だったけど、彼らが長年もはやひとつの文化として肌で感じてきた蚊との付き合い方とはどうしてもズレがあることを感じざるをえない。

 

そのような共通認識がない状態だと、東南、南アジアのかたがた、アフリカン、アラブ系、ラテンアメリカンは共有できているなんとなくそういう認識の輪の中に入れず、非常に寂しい思いをすることもまた事実である。

「なぜ今ジカウイルスがとりあげられてるんだろうねぇ?」 

その問いにサラッと

 

「そりゃ政治的背景でしょ」

 

というちょっとしたおしゃべりの中に出るようなアフリカンの皮肉混じったこの言葉には、彼らが「蚊」というベクターを介して移るその他多くの病気があるのに、なぜこの病気が?

というなんとなく経験に裏打ちされた言葉であり(おそらく多くの国際機関やNGOの蚊媒介の病気への介入などを見てきたのであろうし)、日本人「インテリ臭がするしったか」みたいな発言にはならないなぁ。と思ったりもするのです。

 

肥満、糖尿病等も途上国で問題になってきてはいるけれど、おそらく同じような認識をまだまだ持てる段階ではないのだろうと思う(食生活の改善とか表面上の解決法は似ていても、それがどういう背景で・・・などがおそらくまだまだ決定的に違うだろう)

 

でも、だからこそ日本人にしかできないこともまた多々あると思うわけで。

 

彼らに持てない日本人だからこそ持てる共通認識から何か彼らの今後に影響を与えるようなことをしていきたいなーと改めて思ったのでした。

 

確かに正直講義は期待はずれのことも多いけれど、これをこれだけ多様な文化背景の中で学べているだけでも、この学問を学ぶ価値はあるのだと思う。そして改めて公衆衛生は「文化人類学」「マネジメント」を含めてすべてを「知る」ことが本当にモノにしたいなら求められる学問だとも。 

 

ほんとうのおもてなしって?

どうにも勉強が手に付かない週末なので、連投をしようと思う。

 

*これから書くことはあくまで「感覚的」なものですのであしからず。

 

今日は、大学内にあるインドネシアのコミュニティにクラスメイトのインドネシア人の学生さんに招待されて行ってきました。

 

久しぶりに食べる本場のインドネシア料理はどれも本当にイギリスの特別美味しくもない料理に飽きてきた自分には美味しかったです。そして、当たり前ですが、ひとくくりにインドネシア料理と言ってもいろいろとあり、ごま団子や、かき揚げみたいな、日本人にも馴染み深いものからココナッツをふんだんに使った料理まで本当に様々でした。

 

何故かインドネシア人の女子学生さんはみなさん自分にはとっても親切で、数ヶ月前に一回しか会ってない自分の名前を覚えてくれていたり、

 

やれ、

 

あれも食べろ、これも食べろ。おかわりしろ。

 

と相当遠慮無く食べさせてもらったり笑

 

 

ん????

 

あれ???

 

これってモテ期じゃね??笑

 

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・・・・・ま、まぁそれは置いといて、こんな時に自分に好き嫌いが全くないことは本当に幸いだなーと思います。

 

基本、なんでも美味しい笑

 

でもガーナでもそうですけど、自分達の食べてるものを「美味しい」って食べるとみんな本当に嬉しそうな顔をしてくれるので、こっちもただ食べて、本当に美味しいからだけど、嬉しいですよね。

 

さて、でも、この本当に美味しい料理。

 

ひとつだけ特徴的なことがあります。

 

皆さんわかりますか?

 

そう。

 

インドネシアにはたくさんのイスラム教徒がいます

そしてこの美味しいインドネシア料理はすべてハラルにもとづいて作られてます。

 

 

ハラルアラビア語で「許可されたもの」を意味します。 イスラム教徒(ムスリム)が日常生活で、口にするもの、身に着けるもの全てが、ハラルか、そうでない「許されないもの(ノン・ハラル)」かのどちらかになり、これらはイスラム法で規定されています。

 

自分もこれは今思えば知らなかったのが本当に恥ずかしいのですが、

インドネシアの方々は意外と敬虔なイスラム教徒が多いことを最近知りました。

 

つまり、

 

ハラル食品以外は完全にダメ。

 

ということになります。

 

ガーナも確かにイスラム教徒が多いのですが、わりかし緩いというか、正直いた頃に厳密にこれこれこれは絶対ダメ!!!

みたいなこと。特にハラルということをイスラムが住んでいる地域でさえあんまり目にする機会がありませんでした。

みんな特に特定の殺し方をするわけでもないし。良くも悪くもカジュアルな感じで。女性も普通に肌を見せてて、お祈りの時だけベールを被ったり。(もちろん敬虔な方もおおくいらっしゃるでしょうが)

 

そういうところにいたせいか、逆に今回ものすごくイスラム教についてまた考えさせられました。

 

日本人が食べているもの。

 

果たしてどれが彼らにとってオッケーなんだろう。

 

家へ帰ってレトルトを見なおしてみます。

豚はいわんや、鶏や牛もハラルに基づいてないからダメでしょう。

そして、

 

「動植物加工タンパク加水物」って何?

 

そういう情報の表記は一切ありません。HPで確認してみても自分が調べた限りなんかよくわかりませんでした。

 

少し前に味の素で豚の加工を使っていたことが問題になりましたが自分たちは知らず知らずのうちに調味料などで彼らの法にそぐわないものを食べさせているのかも・・・

 

そう考えると本当に失礼なことだと思いました。

 

インドネシアの彼女は卒業したらいつか日本に行きたいな~と言ってくれています。

 

でも、普通のガ◯トとかみたいなレストランで全く意識することもなく、

 

これはハラルだから彼女たちが安心して食べれるでしょ。

 

って言えるところが都会ならいざしらず地方では日本にいくつ存在してるのだろうか。

 

野菜サラダだから大丈夫でしょ。

 

って本当に日本だと果たしていえるのか?ドレッシングは何使ってんだ?って。

 

日本のおもてなしってなんだろう。

 

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心配りって確かに日本人は平均的に高いかなーとは感覚的ですが思います。

 

でも、本当のおもてなしって、

 

なんでも食べれる、なんでもできるのが当たり前の日本人や(一般的な)西洋人の基準じゃなくて、

 

ハラルみたいな生活に宗教とともに根付いたことを理解して、そういう人たちがもっともっと来やすいそういう環境を作るのが

 

ほんとうのおもてなし

 

なんじゃないのかな。

 

と自分への戒めとして改めて思いました。日本に対して本当に親日に思ってくれている人たちがたくさんいること。自分の経験からそれは確かにいえます。

 

でも、そういう人たちが日本にたとえ来ても今のままだと心から快適には過ごしにくいかもしれない。(お祈りする場所もおそらく自分の地元にはほとんど公共では無いでしょう、ハラルも無い気がする)

 

もし本当に「先進国」として、「おもてなし」を国のイメージとして売りにしたいのなら日本人はやっぱり世界の、特に西洋文化以外のこと、もう少し知らないといけないのかもしれません。なんでもかんでも英語表記しただけでいいわけでは無いと思う。(でも、別にそれでだから日本はダメだ!!!と必要以上に卑下する人は??????ですけど)。そして、でも自分たちの文化を必要以上に「よくないこと」みたいに隠さないことですかね。ちょっと他国の人たちに「こんなことは野蛮だ(極端な例だと捕鯨とか例えば。)」と言われても

 

「それは自分たちの伝統文化だ」

 

と胸を張っていえる。

 

そのバランスが大事なんだと。本当にバランス感覚のある人ならたとえムスリムでも相手の文化だから。と郷に入ってはの心で割りと許容してくれます。(食事のときに、お酒を自分たちは飲まないけど、飲んでもいいよー。だってここは私たちの国じゃないから。とか)

 

という今日の経験から思ったこと。自分ももっと理解しないとなという深い反省を込めて。そしてそういうイスラム圏に行っていた協力隊の方々を改めて尊敬しました。

 

 

イギリス開発学勉強会

先週末に、タイトルにもあるイギリス開発学勉強会(通称IDPP)の勉強会(というか、就職の説明会?)に参加してきました。

 

イギリス開発学勉強会ってなんぞね?

 

という方も多いと思いますので、説明の為にHPから抜粋させてもらいました。

 

英国開発学勉強会 Intercollegiate Development Discussion Panel(IDDP)

は、英国で開発問題に関心を持つ学生が、自主的に運営する非営利団体(2000年発足)です。主な活動として、主にロンドンで開発関連のさまざまなテーマを取り上げた勉強会の企画・開催を行なっております。

 

 

とあります。(下記はHP)

 

sites.google.com

 
 
 

 基本的に1,2ヶ月に一回くらい勉強会を行っているみたいで、自分も非常に興味がある分野のことをちょこちょことやってはくれるのですが、如何せん会場が遠く(基本的にロンドン)。 自分のコースのカリキュラム的に難しかったので、今まで参加ができませんでした。

 

そんなこの時期に、近隣の大都市、マンチェスターでとある催しがあるということで、これは参加しよう。と一念発起し笑 日帰りで行ってきました。

 

当日は、リーズは暴風凄まじく、台風のよう・・・・

 

こりゃひでーなー・・・オレの天パが・・・涙

 

と思いながらバスに乗り込み着いたその先

 

マンチェスター

 

風が全く無いで・・・笑

 

なんやねんそれ。。。。

 

でも、マンチェスターの町並みは、曇ということも手伝ってかなんかものすごく殺伐として見えました。なんか時計じかけのオレンジに出てきそうな・・・デストピア臭がものすごい笑

 

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リーズよりいいという人もいますが、自分は町並みはリーズの方が好きかな・・・なんか遠くに丘が見えるとことかどことなく牧歌的な要素が残っている感じがして・・・笑

 

さて、今回の内容は外務省の方によるJPOの応募に関する基本的な説明、並びに国連職員の方の経験談というもの。

 

JPOとは、外務省の説明によると

 

JPO派遣制度とは将来,国際機関で正規に勤務することをめざす若手邦人を対象に、日本政府の経費負担で一定期間(原則2年間)各国際機関で職員として勤務し、必要な知識・経験を積むことができる制度です。

 

 

となっています。

国際機関はその時の選考、応募者の経歴等によって様々ですが、WHOやWFPなど名だたる国際機関に2年間派遣されるということになっています。

 

この時はILOという国際機関に勤めていらっしゃる方の講演で、

 

自分がなぜ国連を受けるに至ったか、採用されるまでの辛かった道のりなどなど、自分の過去の経験をいろいろと語ってくれました。
(誰かは受かっている!!をモットーに頑張られたそうだ)

 

協力隊時代のメリットの一つとして、国連職員・大使館職員・その他いろいろな国際関係・駐在関係の人に出会えることなのですが、皆さんオフの時でも往々にしてテキパキ(ハキハキ)としていらっしゃる方が非常に多く、この方もご多分に漏れずものすごくテキパキとしてらっしゃる方でした。

 

協力隊前だと、

 

「国際関係、国連職員・・・ひぇ~~~」

 

と思ったりもしましたが、よくよく考えると

 

  • お金がほとんど発生していないだけで、一応彼らも知らないような文字通り草の根のフィールドでガッツリ悩んで、もがきながら2年やってきたわけだし、
  • 責任感という点においては、動物病院で生死を目の前で扱う、ある意味一番責任感を伴う仕事の一つである「医療(あえてそう呼ぶ」に曲がりなりにもDrとして携わってきて、
  • キャリアアップの為に医療系登竜門と言われるMPHを勉強している

 

わけなので、

 

彼らを尊敬するのは当然かもしれないけれど、そんなに過剰に謙るほど変な引け目を感じるような必要は無いかー(学生という点を除いて笑)

 

と冷静に自分自身の経歴と照らし合わせてました。(今、学生だけど笑)

 

今回の説明を聴いて以降、自分がまだ今後JPO受けるかどうかというのが正直定まっていないのですが、

 

なんといっても足を引っ張るのが英語であり(全然伸びている感じがしない・・・涙)また、家族のこととか、年齢制限も考えると、今後に向けてもう少し具体的に考え始めないと行けないなぁと気持ちを引き締めることができた一日でした。(全く考えていないわけではないけれど、選択肢としてJPOも入れるならそれ相応に苦労を更にしないといけないので涙)

 

今回は近隣のいろいろな大学からの参加もありまして、それこそマンチェスターやらリバプール熱帯医学校やらシェフィールドやら(コースはさまざまで)。

 

なんとなくフットボールではありませんが、対抗心を燃やしてしまったり(フットボールの世界ではリーズは激弱らしいですが笑)

 協力隊経験者がやっぱり各大学院にはちらほらいらっしゃって、派遣時期が若干かぶっていたため(そりゃそうだ)共通の知り合いがいたり笑

 

リーズにいるとなんだかんだで普段会う日本人は大体固定されてきてしまっていたので、結果的に非常に刺激的な講演会だったと思います。

 

また機会を見つけてこういう会合はできるだけ参加したいですね。

 

そうそう。 この講演会の為にちょっとジャケットを着ておしゃれをしていったら

 

「気合入れすぎでしょ!!」

 

と・・・・

 

いやいや。

 

日本だと、結構これが普通でしたから!!

 

いやー本当にそろそろおしゃれをしたいですよ・・・

 

イギリスだとどうしてもカリキュラムの忙しさと服の手入れとかを考えるとおしゃれをしづらく・・・涙

 

あと五ヶ月・・・

 

では。

1月の振り返り。

いやー忙しかったです。

 

スケジュールももちろんですが、

 

なんか

 

 

精神的に。

 

 

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ブログ全く更新できませんでした笑

 

ということで、年明け以降のカリキュラムを掻い摘んで書いておこうと思います

 

(1)疫学のテスト

 

年明け一発目は、疫学のテスト。

 

練習問題を見る限り余裕っしょ~~!持ち込みも可だし。

 

 

とタカをくくってたら、意外と問題ややこしい・・・・3時間試験時間あったけど、かなりギリギリ。

 

みんな試験終わった後死んだ顔してたし。

 

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最終的に3分の1の学生が結果が返ってきたら完答できてなかったらしい・・・

 

そんな練習問題よりよほどややこしい問題出してなんの意味があるんだろう・・・・

 

マジで。

 

ちなみに私は一応日本人(の学科は一応理系笑)計算問題は100%正解でした。

 

これだけ自慢させろー!!笑

 

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でも、自分では正しいと思っていた論述がなぜかunclearだったりで・・・回答持込のプリントから記入したんですけど・・・・

 

なんか、正直間違ったこと、普通の説明もあんだけ不明瞭に教えてた人にそんな採点されてもな・・・

 

と結局このテストでも不満が溜まった。今日此の頃。

 

(2)Communicable disease

 

オプショナルでとったもの。

 

変わり者で有名な先生。

 

この講義で実感したのは

 

「この人本当はこんなことしたくないんだろうな~」

 

ということ笑。

 

実地でいろいろしたいんでしょう。

 

でも、個人的にはすごく好きです。

 

質問とかに個人的に行くとイキイキしてるし、ちゃんと話も聞いてくれる。授業がシたくないだけなんだろうと。飲みに行ったら面白そうだよね。

 

少年

 

のような瞳が素敵です笑

 

アサインメントは、なんでもいいから好きな伝染病に対しての介入政策を書くこと。

(すごくはしょった書き方ですが、ちゃんと問題分析して・・・みたいな流れをしています)

 

自分はガーナの鳥インフルエンザを選びました。

 

自分の実体験に基づいていること。

どうすればいいか肌でわかっていること

獣医師として人にも関わる疾患として取り扱えること

 

を前提に選びました。

 

ぶっちゃけ、英語云々を抜きにしたら、日本はノウハウもあるし、もともとは動物由来なので、絶対に知識では負けない自信はあります・・・が、アサインメントは正直怖い・・・な・・・自分の言っていることがなんか伝わってないのかな・・・と不安になります。涙

 

そういえば、イギリスに来て初めて

 

「あんた、それ間違ってんで!!」

 

 

を言って先生に楯突いて、向こうを認めさせることができたのもこの講義のある意味いい勉強だったかもしれないです。

 

英語だと煙に巻かれる感じがしますが、本当に自分の知識に自信があれば、言って向こうの知識の間違いを認めさせることもできるんだな。と。

 

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あ、でも、彼の著書はちゃんと読むと本当によくまとまっているのでここでおすすめしておきます笑

 

Public Health: An Action Guide to Improving Health

Public Health: An Action Guide to Improving Health

 

 

 3)卒論の為のliterature review

 

講義は非常につまんない。あいまい。一般的。

 

アサインメントは最低8つ読んでのliterature review

 

基本的には、同じヘルス関係のことをプレでやったので、内容はまったく違えど、考え方とか書き方の手法はほとんど変えませんでした。

 

このpresessional で学んだliterature reviewの書き方が、このコースでちゃんと評価されるのか・・・・それが正直心配です。なんか、これで文法以外で論理構成とかがおかしいとか言われると、プレセッショナルを否定されているような感じで本当に怖いです。

 

なんだろう。先生によって言ってることがコロコロ変わるので本当に信頼ができません。

 

4)research proposal

 

非常におもしろい内容だったと思う。これを受けながら自分がガーナでした調査のよかったところと、もう少しこうしたらよかったな。

と思うことが客観的に見れたと思う。

今、調査をしたら格段にいいものができる気がする笑(気だけではないことを祈る)

 

ただ、これもやっぱり少し疑問を感じるところがあった。残念ながら。

 

同じ同級生の日本の方が母子手帳を調査のテーマにあげようとした。

 

でも、どんなに日本人が書いた論文を見せても彼女がリサーチで提示する質問が「不明瞭」だと突っぱねられ。結構まいってました。

 

ご存じない方もいると思うので補足すると、日本人には当たり前な母子手帳ですが、世界では本当にマイナーです。というか日本が発祥だそうで。

 

でも、マイナーだから、WHOに沿わないから不明瞭だとする?(ように見えてしまう)スタンスに正直????を隠せない感じはありました(先生の性格は好きだけど)

 

わからないけど、どんなに結果を出しても

 

西欧の考え方にない==却下なのか・・・

 

と、そのせいにしてしまいそうになります。

というのは、

 

不明瞭なのは、

 

自分の「英語」のせいなのか、ほんとにその概念がないので

「文化的背景」で理解できないのかがわからないから。

 

これは年末に出したアサインメントでもそうで、

 

受かってたけど、本当にギリギリ。

 

下手こいた~~~~~~

 

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自分なりに全部エビデンスも揃えてロジカルに書いたつもりだったので、結構ショックでした。

 

WHOとかをちゃんとエビデンスにしてて、しかも前回結構高得点を取れたプロポーサルの書き方に準拠して書いたのになぜか「不明瞭」

 

これだけ採点者によって違うのは果たしてどうなんだろう・・・・

 

アフリカンでも仲良くなった人とかは結構最近

「ここの意味がわかんない」

とか

「どうやってストラテジーをたてるの?」

 

とかちょこちょこ自分にも聞いてくれるようになった。

 

グループディスカッションしても自分のアイデア採用してくれたりとか。

 

でも、なんかそういうのがあると釈然としない・・・

 

し、本当に落ちそうで不安になります。

 

そんな気持ちのまま、アサインメントを3つほぼ同時に提出し、

 

ターム1が終わりました。

 

 なんか、ここに来て初めて不安定です。

 

落ちたらどうしようという不安とか。

やっても評価されない不安とか。あと、プロポーサルというアサインメント上、どうしても既存のアイデアとほとんど同じにならざるを得ない場合とかにどこまでが「盗用」扱いになるのか。どうしても引用しても

 

地域住民への教育

 

とかフレーズ変えようがないものもあるので・・・・

 

評価なんか気にしてないつもりだったけど、やっぱり

自分が否定される==日本人の考え方が否定されてる

 

ような感じがしてしまい悔しくなります。

(いや、自分の英語力のせいなんですけどね・・・・)

でも そんなの関係ねぇ!!!!!!

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ということで、がんばります。

 

 

閑話休題につき。

よ、ようやく、一番きつかったセクター1が終わった・・・

 

この詳細はまた書きますが、一つ気になった記事があり、思わずムムっと来てしまったので、それについて書かせてもらおうと思います。

 

matome.naver.jp

 

問題のこの記事。

 

今自分が渦中にいるからこそ思う、ミスリードさせるような記事だなと個人的には思います。

 

そもそもの基準が曖昧すぎ。

 

理系の場合になってしまうけれど、自分の周りで部活ばっか優先してるような人なんてほとんどいなかったし(いても本当に強い部活でその中心人物とか)、カリキュラムがきつくて鬱っぽくなって留年した人も少なからずいたし。そういう人たちも少なからずいるくらいに書いてほしい。

 

あと、海外の人の高校生までの勉強量はどうなんだろう?日本人の計算能力の高さ=初等教育がそれだけみっちりさせられてるということではないの?(なんにもエビデンス示してないけど)

 

勉強量=時間でいいのか。

 

自分も大学時代は普段は本とか映画とかばっかり読んでたけど。バイトもしてたし。

でも、それが今になって勉強以外にどんなに「人生」として役立ってるかわからない。

 

若いうちしか吸収できない「勉強」以外のこともあるんじゃないか。特に日本なんて、社会に出たら簡単にレールチェンジは海外みたいにまだまだできないんだし。(こんなことしてて偉そうなこと言える身分じゃないけど)

 

あと、海外に来れるような途上国の方々は基本富裕層か、よっぽど勉強頑張ってきて奨学金ゲットしてきている人なんだからそういう人からしたらそれは平均的な日本人はそういう風に見えてもおかしくもなんともないんじゃないかと。あと、やっぱり勉強・授業のシステムの違いとかがすっぽり抜け落ちてる。別の統計だと、例えばイギリスの平均的学力(計算能力等)は相当低いというデータもあるくらいだ。

 

ちなみに自分の場合だと、少なくとも自分の場合は

・英語は他の人に比べて劣るけど、本当に必要なことはきちんとこいつ抑えてるな。的なキャラとして扱ってもらっている

・数学的要素はやはりほとんどのアフリカンよりぶっちぎりで強い

・勤勉

だとありがたいことに思われている。

 

要は環境次第。

 

さらに補足すると、イギリスの大学が忙しいのは「文献を読まないといけない」

からなだけである。

 

そして、その文献は正直「これいるんかい?」と思うことも結構ある。

 

また、こないだの疫学の講義で痛感したけど、英語という概念ぬきにしても

 

「教え方がうまくない」

 

そして

 

参考書もイギリスはしょぼい。

 

日本から離れて思うが、日本の書籍の質は本当に高い。参考書もむちゃくちゃ母国語というのを抜きにしてもわかりやすい。なぜかイギリスの書籍は大概が論文調で難しいものが非常に多い。ハンドアウトもなんか間違ってたりすることもあったからある期間から正直少し信用していないこともある。

 

だから

 

読む時間が少ない=必要な情報は最低限そういうので得られちゃう。

結果として勉強時間は少ない。ということかもしれない。

 

その分やっぱりデメリットはあって、おそらく発言力。

イギリスの先生の説明や学生の発表はこれでもかというくらい長々という。

それは日本人からしてもはっきり言って回りくどいことも多い。

 

Yes or No

 

を聞いているのに

 

~で~で~で~だから、~なのかもしれない

 

結局なんなんだ!!!!

 

と。

 

日本人は曖昧を好むというけれど、「うーん」と。

 

イギリスのほうが実体験として回りくどいこと多いけどな。少なくとも「アカデミック」な場では。これが二枚外交たる所以なのかもね笑

 

そんなこんなで、大学院は確かに忙しいけど、国家試験前とかセンター前とかを思い出すともっともっと日本人はある意味勉強してると思う。(確かにポイントをついた本当に必要なことだけしかやっていないかもしれないが。)

 

物事には一長一短があってある程度の水準を満たしていれば、どっちかがいいとか悪いとかは無いと思うので、こういう海外はすごいみたいなのに最近すごく違和感を覚える。

(かといって別に日本が特別すごいとも決して思わないけど。でも、ノーベル賞とか「結果」を残していることをもっと評価してもいいんではないかい?)

 

・・・・と個人的に。

 

まぁ、もう少し日本人は英語を喋れたほうがいい。そして海外に出てもいいかも。
それは、それこそ「舐められない」ためと、自分たちを必要以上に高く見たり、低く見たりしない、曇りなき眼を持つきっかけとして。

もったいないし、君は喋れないから。というのは本当に悔しいです。

実体験として。

 

愛すること、信じること。 

 

愛情セミナー (集英社文庫)

愛情セミナー (集英社文庫)

 

 

 

遠藤周作全集が大学の図書館にはなぜか置いてあるけれど、これは入っていなさそうで無性に読みたくなってしまったのです。そして、遠藤周作さんの作品で絶対に読むべき一冊だと個人的に思っています。

 

 

学生時代に読んで「ガーン!!」と文字通り頭をぶん殴られたような衝撃を受け、それ以来遠藤周作さんは人から「古臭い」とか「前時代的」とか、なんと言われようと自分の心の師匠ですね。というか、彼(と岡本太郎)の教えを忠実になぞったら今の自分になったわけで笑

 

恋と愛の違い(情熱と安定)

 

不安定は情熱をもやし、安定は情熱を殺す。

 

女性の友人をたくさん持ちなさい。(これは特に自分の人生で大いに役立っている笑)

 

友人でいたい女性とはセックスをするな。

 

など、恋愛を含めて2つしか性の無いもう一つの性、「女性」と好むと好まざるをかかわらず人生を歩んでいくうえでなるほどなーと思う考え方が遠藤周作さんの言葉にはたくさんあるのですが、

 

自分が一番心に刻んでいる言葉は下記の言葉です。

 

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君たち、若い世代は不信の時代に生きている。おそらく、日常生活で君は人を信じられぬという経験を毎日やっているだろう。教師も信じられぬ。学校も信じられぬ。上の世代も信じられぬ。まして政治も信じられぬし、偽善的モラルも信じられないであろう。
 

その時、君は恋愛をする。恋愛とは先にも述べたように相手を信ずることであり、相手から信じられることである。


 不信の時代に君は恋愛を通して「人間を信ずる」行為をやろうとしているのだ。「人間は信じられるか」という賭けを自他ともにやろうとしているのだ。

 

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今から30年位たって自分がいいおっさんになった時に、若い世代にこの言葉を自分自身でドヤ顔で(`・ω・´)キリッっと言えるようになること。

 

それができたら最高にかっこいいし、

 

「わが人生に一片の悔いなし」

 

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だと。

 

もちろん、これは一方からではなくて、お互いの深い思いやりがあって初めてなりたつんだと思います。一方ばかりが無理するのもそれは違いますよね。

 

あと、この作品と

 

 

 

もエッセイとしておすすめです。

 

こちらはどちらかと言うと女性に向けて書かれた本ですね。

 

自分の姪っ子が中学生くらいになったらプレゼントしようと思います笑

 

獣医師という職業といま その3

さて、そんなこんなでこれで最終回。

 

なんで、自分が最近獣医を選んでよかったかな~と思えるようになってきたかと今。(現在進行形笑)

 

命を繋ぐ職業に片足を突っ込んでいる。

もともと日本の獣医療は産業動物を中心に発展してきたそう。

大学でももちろん、小動物と同じくらいに大動物を勉強します。

大動物の多くは当たり前ですが酪農であったり、食肉であることが多いです。

もちろんTPPやらなんやら言われたり、乳製品は今となっては所謂「嗜好品」

なのかもしれません。

 

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でも、そういった一次産業といわれるものにこれだけ関わりながら「医療」を学んでいる。

 

そういった少し特殊な「医療」だけど「医療」だけじゃない環境って勉強しているときはそんなに思わなかったけど、実はすごく「医療」にとっても大事なんじゃないか。

 

何より、「生産」に曲がりなりにも携われることができる職業というのは素晴らしいことだな。と最近になって思うようになってきました。

 

違った視点で人の「医療」にも関与してみたい。

 

ガーナで自分なりに頑張っていたことに「ごみ問題と衛生」がありました。

フィールド調査団という協力隊の有志で集まった活動に参加・発表もさせてもらっていたのですが、ガーナでは途上国のご多分に漏れず、ごみ問題は深刻です。

 

青年海外協力隊・フィールド調査団 | アフリカ、アジア、中南米などの青年海外協力隊の有志による、調査の結果や活動内容を発信していきます。

 

生ごみ等のゴミはもちろん下痢等の症状も起こしますし、プラスチックのゴミ袋は雨季に蚊などを繁殖する。水たまりを作る可能性も出てきます。

 

なんとかしたいな。

 

そう思ってた自分が目をつけたのは家畜でした。

 

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毎日のように家畜がゴミを大量に食べて、おそらくそれが一つの死因となっていること。

 

家畜は「財産」であること。

 

それを元に住民の「行動や考え方を変えることはできないだろうか」

 

そう思ったのが「今」自分が「明確に」公衆衛生を学びたいと思った第一歩だったかもしれません。

最終的にこれは結局少し違ったアプローチになりましたが、でもそれでも自分が途上国で作り上げた大きな一つの「0から1」の一つの成果で、すごくやれて良かったと思う一つです。(もう少しできたらよかったと今は少し無念さもありますが)

 

自分は獣医師だから、家畜とか動物の視点でやっぱり基本的には物事を見る「癖」がついています。

 

でも、その視点は実は、もしかしたら人の視点では思っても見なかったことになるかもしれない。それをもっと医療に活かせることはできないかな。もっと活かしたい。

 

それが今の自分の原動力になっています。

 

残念ながら、実際に人医療と獣医療はまだまだ残念ながら一獣医師である自分が日常的に感じれるほどコネクションや連携は強くは無いと思います(上ではわからないけど)。日本社会では実際のところその1にも書いたように、大学の難易度的にも医師に比べると一歩劣りますし、社会的地位も到底及ばないです。

 

でもだからこそ挑戦しがいもあるのかな。

 

と思います。

 

嬉しい話もあります。

 

この間のグループディスカッションの時に同級生のナイジェリア人医師に

「そういえば学位はなんなの?」

と聞かれました。

「獣医学」だよ。と言ったら

「え?じゃあお前は獣医師なの?ちっとも知らなかった笑 だからそんなに寄生虫が好きなの?(やかましい)」

と言われ。

「なんで「人の」MPHを勉強してるの?」

と聞かれました。

 

この質問、すごく良く聞かれます。

「なんで「獣医師」のあなたが「ヒト」のMPHを受けるの?」

 

自分からすると、「なんで「区別」するの?

 

と少し「モヤッと」するのですが、前述のなりたかった理由、途上国でいろんな伝染病があること、そしてその70%は「動物」が関わっていること、でも、獣医師と医師の連携はまだまだ強くないこと。

そんなことをぽつりぽつりと説明したら

「それは本当に素晴らしいことだと思う」

「自分(医師)が見た限りでもナイジェリアでもやっぱり連携は必要なのに全然無いんだよ。動物だって結核はあるのにね(彼は結核をメインにやっているので)」

と賛同してくれました。

 

これはすごく嬉しかったです。

 

 

正直、あんまり周りに似たような境遇の人がいないから、先が見えない分怖いことも多いのが本音です。

 

でも、

 

怖かったら怖いほどそこに飛び込むんだ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

 

 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)

 

 

 

という岡本太郎さんの言葉や

恐れるな。信じろ。自分の中の可能性を。信じて力を尽くせば、道は自ずと拓ける。為すべきと思ったことを、為せ

というガンダムUCのセリフ。(どうでもいいけど、おっさんがかっこ良すぎる。)

 

人間いつ死ぬか分からないから 、
その時の全てを出し切りたいんだ。

 

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というエガちゃん笑 のセリフに今日も心を押されながら勉強を頑張りたいです。

 

最後になりますが、自分が言っていることをまさに言ってくれたTEDがありました。

本当に奮い立たされ、またこのような環境が本当に来れるように自分も頑張りたいなと改めて思った動画でした。

 

www.ted.com