In Blue Skies

とある獣医の青年海外協力隊日記からのイギリス大学院留学

「共通認識」と公衆衛生という学問。

冷静に考えてみればメイクセンスなのだけれど、こと公衆衛生という学問に限っていうと、日本はつくづくイレギュラー位置に立っているということを改めて実感をしています。

 

おそらく客観的に見ると、日本という国の医療システムは、さまざまな問題を含めど、技術レベル等を考慮するとほぼほぼ世界一であると思う。

 

重大な感染症が他国にくらべ極端に少なく、(曲がりなりにも)長寿世界1として、講義でも紹介される。

 

しかしながら、逆をいえば、

 

1.その重大さを共有できる病気が非常に少ない。

2.そこからさらに突っ込んだ意見を盛り込むことができない。

 

というデメリットを常々感じる。

 

たとえば、感染症で、マラリアやデングなど、多くの途上国でまだまだ猛威を振るう疾患が日本ではない。(昨年デングは数例でたそうだが)。つまり、「ベクター」としての蚊の重大さに対してどうしても「知識」としてでしか実感を持てない。確かにガーナにいたときに蚊は問題だったけど、彼らが長年もはやひとつの文化として肌で感じてきた蚊との付き合い方とはどうしてもズレがあることを感じざるをえない。

 

そのような共通認識がない状態だと、東南、南アジアのかたがた、アフリカン、アラブ系、ラテンアメリカンは共有できているなんとなくそういう認識の輪の中に入れず、非常に寂しい思いをすることもまた事実である。

「なぜ今ジカウイルスがとりあげられてるんだろうねぇ?」 

その問いにサラッと

 

「そりゃ政治的背景でしょ」

 

というちょっとしたおしゃべりの中に出るようなアフリカンの皮肉混じったこの言葉には、彼らが「蚊」というベクターを介して移るその他多くの病気があるのに、なぜこの病気が?

というなんとなく経験に裏打ちされた言葉であり(おそらく多くの国際機関やNGOの蚊媒介の病気への介入などを見てきたのであろうし)、日本人「インテリ臭がするしったか」みたいな発言にはならないなぁ。と思ったりもするのです。

 

肥満、糖尿病等も途上国で問題になってきてはいるけれど、おそらく同じような認識をまだまだ持てる段階ではないのだろうと思う(食生活の改善とか表面上の解決法は似ていても、それがどういう背景で・・・などがおそらくまだまだ決定的に違うだろう)

 

でも、だからこそ日本人にしかできないこともまた多々あると思うわけで。

 

彼らに持てない日本人だからこそ持てる共通認識から何か彼らの今後に影響を与えるようなことをしていきたいなーと改めて思ったのでした。

 

確かに正直講義は期待はずれのことも多いけれど、これをこれだけ多様な文化背景の中で学べているだけでも、この学問を学ぶ価値はあるのだと思う。そして改めて公衆衛生は「文化人類学」「マネジメント」を含めてすべてを「知る」ことが本当にモノにしたいなら求められる学問だとも。