In Blue Skies

とある獣医の青年海外協力隊日記からのイギリス大学院留学

殺すこと。

今日、ほんとにひさーしぶりに、生き物が死ぬ、という場面に立ち会いました。

奇形で生まれて、起立も不能。意識もあるかどうかわからない。だから生まれた次の日だったけど、用無し。だから安楽殺。

そりゃ産業動物だから。合理的だし。畜主さんの経済的損失考えたら、生かしておく理由もない。(というか、それを可哀相だから飼い続けろなんて、いったい誰が言えるんだろう。)

自分が、小動物で働いてたときの方が、ギリギリまで、頑張ったけど、最終的に、苦痛を伴わない選択肢として、安楽死を手がけたこともあったりで、実は、きつかったのかもしれない。

日本の人医と決定的に違うのは、今の所は、やっぱり安楽死の有無。だって、どんなに言っても、人間じゃないから。

家族として、飼ってきた動物に対して、飼い主さんにギリギリの状況まで考えてもらって、どうしようもないときには安楽死も選択肢に入れてもらっていた。。そして、施した。

だって、獣医師だから。(安楽死に関しては、色々考えがあると思うけど、個人的には、最終手段としてなら賛成です)

小動物の時は、死が結構日常的で、当たり前のように感じていたけど、

大動物は、例え廃用になっても、業者に任すため、死んでいく場面というのは案外直接見ない。

むしろ、だいたい、死んでいたり。ということのほうが、ほとんどだ。というか、今までの実習で、死んで行く様子を見たのはこれが初めてくらい。

だから、少し、昔のことを思い出したりで感傷的になってしまっているかもしれない。今日一日、頭でわかっていても、なんとなくモヤモヤしてしまった。

「死」から遠ざかること、それは。いいことなのか。どうか。

少なくとも、この職種についていて、そう思った。