ディスカッションについて思うこと。
いまさらおせーよ!と自分でも思うんですが、いつも講義の中のディスカッションで
「なんで自分はこんなに大人数だと話についていけないのか・・・、これは英語がわからないということだけでは確実にない・・・・だって、さすがにある程度理解できるし、一対一なら納得もさせれるし・・・・」
と思っていたなぞが少し解けた。(というか、よく考えたらガーナでも感じていた)
見ている視点の違いを理解する
どうやら、 たとえば
安全で、快適な家を新しく建てよう!(建てるエリアとかは自由に指定できる)さぁどうする?
みたいなお題で、たぶん大体の日本人だったら
・交通状況(駅とか、主要道路までの近さ)
・立地(地すべりとうない?)、海から、山から近い?
・予算 などなど
のおそらくいわゆる土台から話し始めるのがたぶん大多数だと思う。
そっから、
じゃあそれにあった材質、内装云々 を考えていくと(個人的に思う)
ただ、どうやら多くのクラスメイトが
- バリアフリー!!
- 全自動キッチン!!
- 床下暖房!
- (まぁ出て)耐震構造!!
とかいわゆる最終案?というか、一番最後に選べばいいものをまず出してきて、そこで、頭の中で 「え?・・・・」で思考停止してしまうのかも・・・と思った次第でした。
逆に、自「え、じゃ、じゃあ・・・それはどういう条件がいるの?たとえばこういう外的要因は考えなくてもいいの?」 と聞くと、
「え・・・?」 と、固まってしまう。
そこで、大人数だとなんか大多数に圧倒され(相手にされず)その議論は結局抹消・・・のパターン。
どっちが正しいかはしらないけど、内から外へ展開していく(もっというと中心部分だけ言うこと)は、どうも歪というか、矛盾が多々存在すると個人的には思っています。
特に前職の診断プロセスからか、
見えないところも含めていろいろな可能性を埋めていってより妥当なものを選択する
というのが、診断の定石だと思っているので、なんというか、その議論は深みがまったく感じられず、あまりに教科書的というか直球すぎてプロセス的に体が受け付けず「気持ち悪い」と感じてしまうことも多々あるのが正直なところです。
よくよく考えると、ガーナでよく見かけた、熱→マラリア!!!もここから来ているような気もしないでもないけど・・
30分だと、いったん躓くと、リカバリーができなくなるので、難しいなーと思うのですが、なんかこういう議論をより建設的に行うためのいい手段はないのだろうか・・・と考えてみています。
例えばもう少し自分も含めて日本人が英語が喋れたら、ファシリテーターとしての資質は日本人は相当高いんだろうなーと思っています。
個人的にですが、日本人はやっぱり話もよく聞いて、みんなのいいところを抽出する力が空気を読む文化だからか妥協するところが多いからか(?)、抜群にうまいと思います。
だから、もう少し日本人が強気になれて、「あなたの意見はこうね??」「じゃあこうしたらどう?」
と、上手くお互いの意見をすり合わせることができればもう少し議論は円滑になるのかもしれない・・・
でも、えてして、今のところ、グイグイ言うような人のが、先生とかからもエクセレントとか言われるんで、なんか自分のスタイルがおかしいのかなーともやもやもしたりする。しゃべったもの勝ちな社会なところは残念ながら痛烈に感じるのでなんとなく悔しさもありますね。特に日本人はやっぱりどんなに喋る人でも、割りと簡潔にしゃべる傾向にあると思います。「一言で十分でしょ?」は、この場合、実はあまり通じないことが多い・・・と最近になると思います。
どれだけ、具体例を盛り込めるか、も一つの大切な要素かも。日本人には
「あれ??これって喋り過ぎじゃない??って思うようなこと、そんなこと言わなくてもわかるでしょ??を言うくらいでちょうど良いくらい。」
あとは、一対一なら納得させられることは多々あるので、本当に必要なときは、一人ひとりと時間を作って真摯に向き合うことですかね。
やっぱり、日本人は色々ありますが、基礎学力は高いほうだと思います。
だから、当たり前に筋道を立てていけるし、それを論理的に証明できます。1:1なら笑
もうあんまり時間もないけれど、そういうことを意識しながら英語もしゃべりたいなーと思いますね。