今も哀しき外国語
今、読み見返してみたい一冊。村上春樹のプリンストン大学在籍中のエッセイ。
滞在すればするほど、英語というのはやっぱり自分にとっては「ツール」以外のなにものでもなくて、もっとうまく喋って聞きたいけれど、それ以上のことをなんかしたいなぁ・・・と思うことができない。
自分にとってはやっぱり日本語と言うのが、繊細かつ、自然と情景を浮かべることができる言葉なんだと思う。
この間図書館でたまたま遠藤周作の英語書籍をぱらぱら読んだが、どうしても、英語だと日本人が行間で伝えている
「情緒」
を感じることができない・・・・
もちろん英語にもそういう行間はあるんだろうけど、おそらく日本語書籍に深く傾倒しすぎた自分みたいな一凡人には、なかなか外国文学の行間を読むことが難しいんだろうな。。。と
それはおそらく日本語の本に傾倒しすぎて、日本語の「空気を読む」ということに長けてしまった結果かもしれない。
良くも悪くも。
海外文学も有名ドコロを結構な数読んだと思うけれど、やっぱり文化背景なんかがわかっていないと、その物語の「本質」って見えないんじゃなかな。
少なくとも自分はそうで、
だからこそ、有名人が
人生を変えた一冊なんかで
高校の時にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読んで人生観が変わった!!!
とか書いていると
すごいなー
と思う。
どういう頭の構造してるんだろうと。
内容の中に、「自分がジョギングをしている最中に、”颯爽と””若さ”を見せびらかすように全身からアピールする女子大生達が追い抜いていく」
みたいな描出があるが、なんとなくそういう「社交性」なり「リア充!」
というのは確かに感じるなぁ・・・と思うのは自分との歳の隔たりのせいでしょうか笑
いつか、儚げなイギリス人の美人女子大生が日本文学の洋書版を図書館で探していることを期待して、今日も僕はHealth &science libraryでは無く、文学系の図書館(そして日本語書籍コーナーの近く)に行く。