In Blue Skies

とある獣医の青年海外協力隊日記からのイギリス大学院留学

ガーナで走ることについて語るときに、僕が語ること。

 

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2014年9月28日

多くの人たちにとってこの日は、これと言って特別な日ではなかったかもしれない。

けれども、この日は、僕にとって、忘れられないだろう一日となった。


この日、僕は、ガーナの首都、アクラにいた。

アクラ国際マラソン。

そう、マラソン。しかも42.195km。フルマラソンに生まれて初めて挑戦しようとしていた。


走ることは、自分にとってなんだろう。

 

正直なところ、体の体調を整え、健康を維持するためだけなら、
ほぼ毎日の6km程度のランで十分だろうと思う。

でも、おそらくフルマラソン、42.195kmという、およそ日常生活では必要がない距離を走ろうと思うこと。

それは、おそらく一定の段階を経たランナー全てに起こるある種の自分自身への「挑戦」なのではないかと思う。

少なくとも僕にとっては。

 

2014年9月28日 

Am 3:00

隊員宿泊所で目を覚ます。

昨晩に食べた炭水化物たっぷりの食事も、一通りの消化を終え、体はすこぶる軽い。


寝起きの柔軟にとても久しぶりに「ラジオ体操」を行い、普段気を使わない上半身の筋肉をほぐす。

この数ヶ月の練習を通して、気づいたことは、ある一定以上の距離を腕を振り続けながら走ると言うことは、自分でも思っている以上に上半身を酷使していると言うことだった。

柔軟をひとしきり終えた僕は、朝食にバナナ数本と、味噌汁を飲んだ。

長距離を走る際の食事、特に塩分の必要性を、練習で嫌と言うほど味わったからだ。

マラソンの練習は、ただ、単純に体を鍛えるというだけではなく、

走りきるために普段は会話しない自分の体と深く、すごく長い対話を重ねなければいけない。

そんな当たり前だけど、普段は気づかないことを教えてくれる大切な場だった。

中枢神経に支配されているはずの筋肉が、疲労という中で、少しずつ自我を持ち、自己主張をはじめ、

体のネガティブな主張を上手くなだめながら走っていかなければいけない。ということを気づかせてくれた。

たとえば、

塩分の不足は、突然に、風船から空気が抜けるように一瞬で、自分の走るという意思に反して、体を動かなくしていく。

そこには、残酷なほどに自分の意思が介入する余地はない。

 

練習を通して今回の初マラソンで、僕はひとつの目標を立てた。

 

初マラソン、そして、碌に整備もされていないと聞くマラソンで4時間以内にゴールすること。


マラソン経験者が聞いたら

高すぎはしないが、割と高めの目標かも知れない。。

でも、なぜか、僕はこの目標を立ててみたくなった。

それは、その時間内に走りきれば、30を目前にした自分の中でなにかが変わるかもしれない

そのような「根拠のない目標」

であると同時に、

友人の突然の死からちょうど3年経つこの日に、自分が今生きているということへの「感謝」と「挑戦」、そして「自分自身をこの長い距離を走りながら振り返る」ということをしてみたかったからだ。

 

マラソンのスタート地点は、首都より東へ進み「central university」から始まる。テマ港を抜け、アクラのラバディビーチがゴールだ。

スタートは朝の5時半。

ガーナらしく、太鼓の音に背中を押されながら、人生初のフルマラソンが始まる。

人によってはフルマラソンの間は何も考えないという意見を聞くが、自分はまったくの逆だった。

色々なことを想い、考えながら、テンポを維持するために音楽を聴き、景色が少しずつ変わっていくことを楽しみ、前を走るランナーのペースを参考に、一歩一歩走っていた。

その中でも、歩行時の三倍以上と言われる衝撃は、確実に筋肉の繊維を痛めつけ、関節、そして足全体を蝕んでいく。

10km

20km

 

 

着実にゴールは近づいてくる。

「このままこの状態を維持していけるだろうか。」そんな儚い期待はもちろん裏切られ、やはりそのときは訪れる。

30kmを過ぎた時点から、少しずつ体が悲鳴をあげはじめる。

走るための根本的な体力がなくなるわけではない。ただ、膝が、そして足が、自分の思うように動かなくなってくる。

限界を一度超えたのか、発汗していても、体は熱いというより少しうすひんやりとしているような感覚だ。

追い討ちをかけるように、35kmを過ぎた時点から急な坂道が続く。

碌な交通規制も無いアクラマラソンでは、街中でガーナ人にはやされ、どんなに疲れて走りに集中したくても、最低限の集中を自分が轢かれないためにトロトロやタクシーにも向けなければならない。

はっきりいって、キツイ。 精神的にも、肉体的にも。

 


この精神状態で、ただただ、思っていたこと。

それは、

「お腹がすいた。走り終わって、バンクーが腹いっぱい食べたい。歯が痛くなるほど冷えたビールと一緒に。」

だった。

これには自分が心底驚いた。

日本食・・・・ではなく。 極限状態で食べたいと思ったのが、「バンクー」である。


そんな自分に軽くショックを受けながらも、

マラソンは終盤に差し掛かる。

携帯していた、糖分補給のためのタブレットももうない。

最後の40.5kmのサインが見えたときの心境は、

「4時間切れそう。頑張ろう。早く終わりたい。」、「こうやって、自分は今生きて、そして走れている、それだけに感謝だ」

というこの二つの気持ちだけだった。 

もうそれしか考えられなかった。 

このタイミングでiPodから流れてきたのはまっきーの「どんなときも」

絶妙だ。

仲間がピンチのときに現れる主人公のように、この曲は僕を奮い立たせる。


ゴールが見える。


応援者達が暖かい拍手で、僕を迎え入れてくれる。

 

 

ゴール。

 

3時間55分。


これが僕の初フルマラソンのタイムだった。


やった。完走できた。

と思うと同時に。

 

「こんなものか。」


という思いが出てしまったのは否めない。

うれしい中に、まだ物足らないこの気持ち。


そうか。


だから、人は走り続けるのかもしれない。

走り終わったからこそ、見えてくるものがあるとすれば。

 
このまだまだ物足らないという気持ちを原動力に人は走り続けるのかもしれない。

ということだった。

 

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

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