In Blue Skies

とある獣医の青年海外協力隊日記からのイギリス大学院留学

英語が公用語であること。

同期隊員の女性がモンゴルにおける、言語に関する考察を書いていて、それが非常に興味深かった。

「なるほど非英語圏だと、そのような見方になるのか。ふむふむ」と。

 

そこで、せっかくなのでガーナの言語事情を書いて、対比してみたいと思う。

 

「ひとつの問題を考察することは、おそらくもうひとつをより明確に解くことになるはずだ」

 

ということと、

 

それに加えて今日とても衝撃、かつむかつく、かつ悔しい情報を突きつけられたので。

 

客観的に考察しておいて、後日反芻したいと思ったから。

 

 

ご存知の方も多いかもしれないが、ガーナは、もともとの宗主国がイギリスだったこともあり、公用語は英語である。

 

もちろん現地語もあるのだが、インド、フィリピンなどと同じように、数十の現地語があり、かつその言語にあまり相関性がないため、

 

ガーナ人でも「自分の生まれた地域の言語以外は、基本的にまったくわかりましぇーん」状態だ。

 

 

たとえば、自分の住んでいる北部の現地語はダバニ語だが、首都近辺はチュイ語であるため、首都に来ると、とたんに挨拶すらも通じない。

 

日本に住んでいる日本人からするとそうとう違和感があるが、

 

これには歴史的な背景なども要因となっていて、首都近辺、クマシなどは大雑把に言うと、南部で栄えた王国の末裔であり、北部はブルキナファソなどからやってきた民族(らしい)。

 

 

だから、文化形態もかなり違う。・・・というのが、ガーナ隊員の感想である。

 

そして、

 

南は騒がしい。 北は、おとなしい 

 

というのが端的に言うと結構当てはまっているのではないだろうか。というのが隊員の総意であろう。

まぁ、これも日本で言えば関西と関東みたいな感じなので一概には言えないことを付け加えておく。

 

あくまで、

 

そういう傾向が強い。ということで。

 

それに加えて言語が違うことを踏まえると、もっと極端に言うと、韓国と日本が同じ国。という感じを言うとさらに正しいかもしれない。

 

だから、両者のコミュニケーションを図るために英語が必須なわけである。

 

 

では、実際にガーナ人の英語スキルはどうなのだろうか。

 

これは、正直なところ、会話に関してはかなり高い。というか、日本人のちょっと留学してた人レベルだと大学にくるようなガーナ人にはとても歯が立たないだろう。

 

ガーナの教育システムは日本に近いのだが、小学校の3年生くらいから授業はすべて英語になり、それに国語として、現地語を習うというものになっている。

そのため、ある程度の教育レベルに達している人はかなり流暢に英語を話す。

 

もちろん訛りはあるのだが、というかかなり強いのだが、これも日本で言うところの関西弁や九州弁と同じような感じでとらえるといいかもしれない。

だから最近は、こちらに向かってしゃべる英語に関してはほぼ大体わかるようになってきたにも関わらず、相変わらずガーナ人同士の難しい話はさっぱりわからない。

むしろ、勉強のために観ている海外ドラマよりもわからない。

 

まぁこれも、日本語を程よくしゃべれる海外の人に遭遇したときに、こちらは気を使ってゆっくりとした標準語で話す感じだろう。そして、もしそこにたまたま地元の友達などがいたら、その友達とは方言バリバリの会話をするため、結果的に標準語の日本語しか学んできていない外国の人はまったく理解できていない・・・・という状況を思い浮かべると納得が妙にいく。

 

ということで、ガーナ人も多少の癖は出るが、おそらくしゃべろうと思えば日本人が社会的な場で標準語を喋るように標準語(ブリティッシュな英語)に近いしゃべり方ができるのだろうと推測している。

だから、夜にサルサやパーテーなどに行くと、とてもスマートにガーナ人が、流暢な英語で欧米人をダンスに誘ったり楽しく飲んだりし、そしてそれを英語があまり使えない自分たちが恨めしくみているという悲しいシチュエーションができてしまう。

 

まぁ、そんな国なので、ある程度の公の場に行けば、英語なんてしゃべれて当然。というか、なんで喋れないの?という感じになる。

 

癖もあいまってそれでもやはりガーナ人の単語は聞き取りにくいのだが・・・・「ミゼム」と言われて「は??」とわからないので何回も顔をしかめていると露骨にうっとおしそうな顔と舌打ちをされることもあった(ちなみにこれは「ミュージアム」

を言いたかったらしい。ほんとに「ミゼム」としか聞こえない。)

 

 

そういう環境なので、モンゴル同期隊員が書いていた、アジア諸国(公用語が英語でない国)のように「英語を話せる人」だから、ちょっと敬遠、ないしすごい。と言う感覚は全然なく。

「英語ができない人」だから、「ちょっとかわいそうな人(しょーがないなぁみたいな)」もっとひどくなると「教育が無い人」という扱いになることもある。

 

 

現地語ができれば、現地の人からは喜ばれるし、打ち解けやすくはなるのは確かだが、たとえばちょっとしたオフィシャルな場にくると大概の人は全国から来ているので会話は英語がほとんどになる。そのため、あまりその現地語が話せる。。。という能力も役に立たない。

たまたま地元が同じ人がいると、現地語で話す。という感じになるだけ。

 

ということで、英語ができないことは、この国にいるうえで、ハンデ以外の何者でもない・・・・というか、これがおそらく世界の大部分の現状であることをガーナに来て痛感する。

 

 

さすがに半年いることで、日常会話には支障がなくなってきたし、学生に顕微鏡の使い方を普通に説明したり、会話の中に関係代名詞とか仮定法、現在完了も混ぜちゃったりして、「お、俺結構喋れるようになってきたんじゃね?」

と思いながら、すごしていたら、今日、非常にむかつくことがあった。

 

まぁこれは次回少し落ち着いたころに書くことにして。

 

 

結局、

 

 

「英語ができない君は、ここでは正直足手まといなんですよ」

 

 

ということを暗に言われた感じがして非常に悔しいということです。

 

 

悔しいから・・・・勉強がんばろう。うん。