「永遠の0」と日本とガーナ
阿部首相が、映画「永遠の0」に「感極まった」というニュースがありました。
2013年は宮崎駿監督の「風立ちぬ」とあわせて、ゼロ戦に沸いた一年だったと思います。
悔しいことに、映画は両方とも自分がガーナに来てからの公開だったため、まだ観れていないので帰国後を楽しみにしています。
「永遠の0」の原作自体は。二本松訓練時に紹介されたこともあり、読破していました。
ただ、この読破も、
最初は、「飛行機の搭乗時間16時間くらいあるし、機内で読も」と思って、いざ税関を抜けて本屋に入ったらまさかの品切れ笑
意気消沈したまま、ガーナに到着後、奇跡のドミで発見という形で読めたのでした。(先輩隊員の方、誰かは知りませんがありがとうごぜえますだ)
前評判が高かったのでどんな作品なんだろうと思いながら、なんだかんだで、数時間で一気に読了させてくれました。
ストーリーとしては、実際にあった真珠湾、ミッドウェーなどの事実も盛り込んで、うまくエンターテイメントとして今の若い人達に、戦争、そして特攻隊とはなんぞやということ
を伝えてくれてます。
また、いわゆる「悲惨」だの、「戦争はやってはいけない」だのということだけではなく、読了後に、「もっと自分で調べてみよう」と思わせてくれる作りになっていたと思います。
ストーリーに関しては、いろいろなサイトなどで解説がされているので、ここでは省きますが、
この中で注目したいのが、「ゼロ戦」のすごさを「永遠の0」でこれでもかというくらい語っているところでした。
「風立ちぬ」はゼロ戦の製作者堀越次郎(だっけ?)をモチーフにしてるとか。
ゼロ戦、をモチーフにした作品は数知れぬほどあり、自分が大好きな漫画「湾岸MIDNIGHT」でも、
「地上のゼロ」を作る。という話があったくらいでした。
なぜゼロ戦はこれほど魅力的なのか。
それはきっと、資源もノウハウも何もない日本が、開発された当時、圧倒的優位に立っていた西欧諸国が、信じられないと度肝を抜かした超高性能戦闘機を作り出した事実。
そのようなスピリットが日本にはある!ということを日本人が自覚し、誇りを持ちたいからではないでしょうか。
「発展したい!!」??
・・・・ガーナに来てからよく、「日本は、すごいテクノロジーだ、自分たちも日本のように発展したい」
とよく言われます。
でも、はっきりいって、おそらくガーナ人には何十年かかっても無理だろうなぁ。と思う自分がいます。
彼らにゼロ戦、そして世界中で売れまくったカローラ、スーパーカブは作れないだろうと思います。
というのも彼らは今あるもの(工業製品)が「なぜ、そうなっているか」ということをおそらく突き詰めれないからだと思います。
それにはもちろん国民性と供に経済発展の段階を踏んでこれなかった時代背景などが関係していることも大きいと推察しています。。
・固定電話をすっとばして、携帯電話が安価に買えるようになった
・台帳からいきなりパソコンでのネットやスマホなど、IT全開の世の中になった。
・自分たちが作ろうと思うまもなく、海外からすべてが買えるようになった
など。
でも、それ以前に、やはり、「なぜそうなっているのか」、そして「さらにいいものをつくってやろう」
という気風がガーナには決定的に欠けているなぁと、自分の家の大雑把さ(そして普段の作業)などをみているとなんとなく思います。
・格子が新設なのに既にゆがんでいる
・色の塗りがむちゃくちゃ。
・元栓を開きっぱなしにすると、水漏れするトイレも、修理を頼んだら、「直った問題ない」・・・・いや、変わらず漏れるんすけど・・・・。
・シンクを作ったら、壁をぶち抜いて、配水管切って、主流の配水管から分配してきて、終わり。位置エネルギーのみで水が出るからものすごくチョロチョロとしか出ない
なのに「作ってやったぜ!!」とドヤ顔
正直、ガーナ人は「チンチョン、チンチョン」と中国人のことをすごく馬鹿にしていますが、
彼らのほうが、こと工業に関しては全然上です。
というか、バイクも携帯も、車でさえも、君らが使っているのはだいたいぜーんぶ中国製だからね。という事実。
(近隣の先輩隊員は講義でお前らの工業レベルは馬鹿にしている中国以下とはっきりといったらしいが)
こういう風に、違う国の作業工程などを見たことで、日本の技術ってこんだけすごかったんだなぁと客観的に思えるようになりました。
そして素直に感動しました。
ただ、だからガーナがダメかと言うともちろんそうではなく。
彼らの文化はとてもすばらしいと思うし、日本が見習わないといけないことも多々あると思う。
Developを抜きにしたら、ある意味では彼らのほうが人としては「幸せ」なんじゃないだろうかとも近年の日本の閉塞感や陰鬱感、なんか切羽詰っている感を見ると常々思う。
ただ、ガーナが実際に発展したいといって日本人のようにがんばってしまったらそういう良さも失われてしまうのかもしれない。
もしかすると、過酷過ぎて日本以上に精神病なんかも増えたりして笑
最後に永遠の「0」に少し戻って。思うこと。
青年海外協力隊二次試験の前日。
自分は靖国神社に行きました。
ずっと行きたいと思いながらも東京に行く機会があまりなかったこともあり、これがはじめての訪問でした。
靖国には、母方の祖父の兄が祀られています。
母方の実家の近所の寺には分祀された慰霊碑がたっており、
「フィリピン海沖にて、戦死」 享年19歳と書かれてあります。
父方の祖父も、出兵し、実家には未だに軍刀と遺書があります。
あの当時、戦争に行った人たちはどういう気持ちで戦っていたのだろう。
正直、自分には想像もつかないです。
ただ、幼心にずっと不思議だったのが、祖父母が戦争に関して、決して「悪いこと」だったとは言わなかったことです。
少なくとも、「兵隊さんが・・・」と、戦争で戦ってくれた人に祖母はとても感謝をしていました。
自分はずっとテレビや小・中学校で、「戦争は悲惨だ」とか「絶対にしてはいけない」といわれ続けてきました。
確かに戦争は「悲惨」で、「しないなら、それにこしたことはない」、し実際、「したくない」です。
アジア諸国で、酷いことをした隊もあったかもしれません。
でも、自分たちが、もし、あの当時の人たちだったら、「戦争」は回避できたのか。
それは結局「if」でしかないと思います。
そして、その当時の西欧列強が、こぞってアジアに植民地を作っていた時代である、そんな過去を現在の基準で裁いてはいけない。
とも思います。(ちなみにガーナもその当時はまだイギリス領であり正式にはガーナという国はなくゴールドコーストとしか呼ばれていませんでした。)
そして、そして何より、自分の祖父や祖父の兄が自分の家族を守るために命をかけてくれた事実を、そのように否定したくは無いと思います。
(年末に阿部首相が靖国訪問したらしいですが、彼の意図が政治的でなく、単純にそのような感謝や敬意的なものなら少なくとも「人」としては尊敬しますが・・・)
「永遠の0」の中で「愛」について語っていた場面がありました。
それを読んでいたときに、この遺書を思い出しました。
小林よしのりの「戦争論」でも取り上げられていたので読んだひともいるかもしれません
推測にしかならないけど、きっと戦地に向かう人にはこういう人も多かったのではないかと思います。
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「恋人へ遺した手紙」
八重子に
はっきり言う。
俺はお前を愛している。
しかし、
俺の心の中には、
今ではお前よりもたいせつなものを蔵するようになった。
それは、
お前のように優しい乙女の住む国のことである。
俺は昨日、
静かな黄昏の田畑の中で、
まだ顔もよく見えない遠くから、
俺達に頭を下げてくれた子供達のいじらしさに強く胸を打たれたのである。
もし、それがお前に対する愛よりも遙かに強いものというなら、
お前は怒るだろうか。
否、俺の心を理解してくれるのだろう。
ほんとうにあのような可愛い子供等のためなら、
生命も決して惜しくはない。
自我の強い俺のような男には、信仰というものは持てない。
だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きていけないことも、お前は解ってくれるだろう。
俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。
俺は確信する。
俺達にとって、死は疑いもなく確実な身近の事実である。
宅島徳光
二〇年四月九日殉職 享年二四歳
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歴史はある意味で壮大な物語であり、その中には、いろんな良いことも、悪いことも含んでいると思います。その物語の中で一個人としてできることなんて本当にたかが知れていると思います。
でも、それでも、このような人たちがいてくれたから今の自分たちがいる。
ということを忘れず、
自分のできることを精一杯しながら、前に進んでいければと思います。
さて、明日からガンバローーーー!!!!