大丈夫・・・きっと彼女が見守ってくれている。
これまで、ずっと、ずっとこの進路が決まったときから自分の中で、このことは忘れたくない、何らかの形で残しておきたいと思っていた。
けど、上手く言葉にできなかったり、本当にこれは書くべきなのかと悩んでしまったり、結局、踏ん切りが付かなかったりで書けなかった。
けど、今、この静かな環境で改めて向き合い、素直な気持ちでエイっ!!て書けそうだったから書いてみようと思う。
それがどんなに稚拙でも、この出来事は自分の人生に間違いなく影響を及ぼしていることだし、彼女という存在がいたことを何らかの形で正しく知っていて欲しいと思ったから。
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「来月に****に行くんだぁ。大きなお祭りがあるんだって」
自分はいつも、***さんのことを思い出すとき、この場面を思い出す。
この日はちょうど8月15日。奈良の東大寺でのお盆の催しに友達と一緒に行くから行かない?と誘ってくれた。その中の一場面だ。
***さんとは、学生時代に行った一人旅で出会った。
カンボジアのシェムリアップのとあるゲストハウス内で晩ご飯を食べに行った帰り、おもむろに近づいてきた女性が、「明日のアンコールワットのサンライズ、今日出会った男の子と一緒に行くんですけど良かったらどうですか?」と誘ってくれたのがきっかけだった。
彼女は一緒に行った僕ら男2人よりも5歳ほど年上のお姉さんで、看護師になって一年目。「5日間しか休みないから、とにかく急ぎ足なの。ここが終わったら飛行機でバンコクに戻らないと・・・」
その言葉通り、彼女とはそのサンライズ以降行動を共にすることもなく、そのときの旅は終わった。
その後も、彼女とは、SNSでたまに連絡を取り合うくらいの間柄で特に会う機会もなく、お互いの旅の報告をSNSを介して知るくらいだったけど、僕も大学を卒業し、地元の動物病院で働きだしたその年の秋、ひょんなことからカンボジアの3人で再会した。そして、2年目の夏、このお盆の日も、自分がたまたま休みだったから今度は2人だけだったが会うことができた。
奈良へ向かう道中、僕らはいろいろな話をした。今日会う人たちのこと、今までの旅行のこと、お互いの仕事のこと、それをふまえたこれからのこと。
旅で出会った友達というものは、まるでずっと昔からつきあってきた友人のようになんでも話せたりすることが多い。たとえ、実際にはたった3回しか会ったことなくても。
それはきっと、旅という極度に日常から遠ざかった海外で、短く濃い時間を共有しているという連帯感から生まれる関係だからかもしれない。・・・と勝手に考えている。
僕らは、道中たくさんたくさん話をした。
お互い人と動物と言えど命を扱う職業の中で、まるで日常生活の一つの習慣のように遭遇する死について。(彼女はそのとき皮膚や泌尿器のガン病棟だったから)
それに対して、芽生える自分の中の何とも言えない感情について、(彼女はそのとき、恋人を作ろうにもたまに来る若い人も末期がんだとねぇ・・・って苦笑いしてたけど)
このとき、僕はもう既に青年海外協力隊をもう少し研鑽を積んだら受けようと思っていること言い。
そして、彼女は彼女で、5年目という自分の立ち位置にふと悩み、色々と考えていたようだった。
「もともと私は、国際関係の仕事もしてみたかったけど、職がなくて・・・だから看護師入り直した経緯もあるからやっぱり世界を見たいなぁ。だから資格もあるし、世界一周とかちょっと考えてたり笑」
冗談とも本気とも付かない口調でそんなことを言っていた。
僕らは奈良の催しを満喫し、彼女は友達と、そして僕は自分の家に戻り、無事付きましたのメールを送った。
そしてそのまま一ヶ月半が過ぎた。
その間に彼女が東北へ行ったりしているのをSNSでちらっと見たりで、僕はまたいつものように日常に忙殺されていた。
・・・・その日はたまたま、本当に、たまたま休みだった。
いつものように朝起き、しばらくしてからPCを立ち上げ、ちょっと息抜きとyou tubeを見る。「****で邦人が殺害される」というニュースを見つけ、「そういえば、***さんもう****に行ったのかな?(正確な旅行の日程は知らなかった)」本当に何の気なしにクリックをした。
・・・・この時に彼女の名前を見た、そのとき沸き上がった自分の感情を適切に表現してくれる言葉、表現が今後も見つかるのかどうかわからない。
ただただ、信じられないという思いと、その中で死を日常的に扱う職種からか、おそらく「事実」ということを感覚的にある種の諦観を持って少し受け入れている自分。
そして、ただ、誰かに確認をとらないと、誰かに話さないと・・・という自分でもよくわからないあたふたした気持ちが混ざっていたような感じだった。
その後結局ニュース以上の詳しいこともわからず、なんともいえない思考が停止しているような感情のまま一日の終わりを迎え
、最終的に奈良で出会った彼女と親しい友人の方から報告を受け、事実ということが判明した。
事実・・・・その圧倒的な現実を前にして、身近な親しい友人でもない自分には何ができるのだろう。
今、思うと、今の自分は、自分の為にも、向こうの家族の為にも関わるべきでは、ないのかもしれない。そんな自分勝手な解釈をしていたのかもしれない。
結局、仕事も休みの都合が付かず、通夜や葬儀などにも参加できず、報告だけを聞き、
後日、改めてカンボジアで出会った友人と実家へご焼香に行かせてもらったり、後日談を聞いたりした。
あれからもう1年半以上も月日が流れた。
一時期は、頭ではわかってるつもりだったり、なんとなく彼女は旅行にでも行ってるような感覚でいたけど、
やっぱり自分が旅行に行ってる最中に色々考えてしまい心から楽しめなかったりということが精神的におこったりもした。ずっと仕事ばっかりで、たった5日間だけどやっと行けたあんなに楽しみにしていた旅行。でも、同じような心境で彼女は殺されてしまったんだなぁ、とか、何となく旅を全て肯定できなくなってしまった自分がいた。そしてそんな心から楽しめない自分が嫌になったりした。嫌になってすっごい酒を飲んだり夜遊びしたりして、そして余計むなしくなったり悪循環な旅になってしまったりもした。
もちろん今でも、これは現実の出来事だったと思って納得していると言えば嘘になる。だいたい久しぶりに会った友人がまさか海外で一ヶ月後に殺害されるなんていうことを完璧に理解しろというほうが酷だし無理じゃないか?
そう思わないこともない。
でも、
彼女が死んでから自分の中で一つだけ心に誓ったことがある。それは
「彼女の分まで、世界を見て、世界と関わり、時に自分の欲求に従い、人生を楽しみ、そしてそれを自分の眼を通して、彼女に見ていってもらおう」
ということ
今回、青年海外協力隊で受かったとき、何か、一つの区切りが付いたとき、僕は、ふと空を見上げてしまったりする。
そして、***さんに報告する。そして再確認する。
「大丈夫。***さんがきっと見守ってくれている。」
と。